【片山慈英士、マチュピチュ村に監禁の理由はなぜ】ペルー生活動画

 

ペルーにあるマチュピチュはユネスコに認定されている世界遺産ですが、コロナの影響で国全体がロックダウン状態になっていたところ、ペルー政府から許可をもらい一人で遺跡を日本人の片山慈英士さん(26歳)が足を踏み入れることに成功しました。

 

マチュピチュ遺跡を観光するまで200日間という期間、付近の村に監禁されていた片山慈英士さん。

 

この記事ではなぜ片山慈英士さんがマチュピチュ村に監禁されていたのかの理由と彼が開設したユーチューブチャンネルで見れるペルーでの生活動画、また片山慈英士さんの今後について紹介していきます。

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【片山慈英士、マチュピチュ村に監禁の理由はなぜ】ペルー動画配信

(引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/060348e25fcedcc8485cfc475be0135dcfe6cccf/images/000)

 

上記の写真に写っているのが片山慈英士さん。観光客の姿なしで世界遺産を背に写真に写れるのはまず不可能といっても過言ではありません

 

アンデス山脈に位置するマチュピチュは世界で最も高度にある(2,430m)世界遺産として世界中の人が訪れ、絶えず観光客でにぎわうインカ帝国の遺跡です。ペルーという国自体標高が他界ので高山病になる人も多い中、世界中から観光客がグループで訪れます。

 

片山慈英士さんは2020年3月15日にマチュピチュを訪れるためクスコという街に入った次の日、国全体がロックダウンにあいました。10月10日までマチュピチュ村で200日の監禁生活を送ることになります。

 

片山慈英士さんがなぜ監禁されたかの理由は、彼以外の観光客が村に留まる事をせずに国境が完全に封鎖される前に帰国する事を選んだからでした。自分の夢の為に現地に留まる事を選んだ彼が、たまたま一人だけだったという結果になったのでした。何もない環境であった村でペルーでのボクシング資格取得に集中して取り組む決断をしました。

 

マチュピチュ村からいつ出られるかも分からなくなった彼は、思い切って現地での生活をユーチューブで記録することにしました。

チャンネル名は「じぇったちゃんねる」で、テンポよく編集された動画を楽しむことができます。

 

マチュピチュ村での生活や、現地の人しか知らない穴場、またペルー料理などの食レポも多数あり、持ち前のユーモアで見る人を楽しませてくれます

 

日常生活を送る中でこんな出来事も!

片山慈英士さんの他にも大勢観光客がロックダウン時にいましたが、現地に留まる決意をしたのは彼一人。ペルー政府から無理やり監禁されているというわけではなく、彼の判断だったのです。

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【片山慈英士、ペルーに監禁されたただ一人の観光客】今後の旅行予定

片山慈英士さんは世界一周をする途中でマチュピチュ村に足止めをくらってしまいましたが、実はボクサーでもあり、ボクシングを教えながら旅を続けているようです。

 

将来の夢は自分のボクシングジムを持つ事でもあり、ペルーの標高の高さは空気が薄い事から体力作りにも非常に適した環境だと言えます。オリンピックの金メダリストでもある高橋尚子さんもペルーで高地トレーニングをしたことで有名です。

 

マチュピチュ村で体力をつけ、ペルーの資格を取得した片山慈英士さんは今後もボクシングを子供達に教えながら旅を続けていきながら、ユーチューブで近状を知らせてくれるようになるでしょう。

 

日本に帰国する頃には様々な国でのトレーニング経験やユーチューブ動画の収益を得て、知名度と共に一気に彼の夢が実現するかもしれません。あるいはユーモアあふれる性格から、ボクシング系タレント、旅レポと芸能系の仕事のオファーも今後は出てくる可能性もあります。観光業が発展していない国を回り、旅をする企画をスポンサーから持ちかけられる事も。

 

片山慈英士さんの今後はマチュピチュ村での監禁生活によって一気に幅広く展開されるきっかけをつかむことができたのでした。

 

この度の「マチュピチュ独占」という世界中の旅行好きにとっては喉から手が出るほど贅沢な、お金では買えない機会を、片山慈英士さんの状況を取り上げたペルーの新聞「ラ・レプブリカ社」が取り上げ、多くの人の助けによって実現されました。

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片山慈英士、マチュピチュ村に監禁の理由はなぜのまとめ

日本のボクサーである片山慈英士さんが10月10日に一人だけでペルーのアンデス山脈にある世界遺産のマチュピチュを独占観光しました。

 

その背景にはコロナによるロックダウンで200日間マチュピチュ村に監禁状態となったことや、閉じ込められてしまった彼を助けようとペルーの新聞で取り上げられたことがきっかけとなりました。

 

自分のボクシングジムを持つという夢のため、現地に留まる思い切った決断が彼の今後の可能性を大きく開いたのでした。

 

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